二回目の「TYC2011 冬季練習会」の運営を行った。
三月の本番へ向けての実践形式の練習レース。
風も朝から適度に吹いて絶好の日和となった。
今日の本部船の「アズール」
キャビンは暖房もしっかり効いて快適そのもの。
大エンサイン旗もしっかりロッドに掲げる。
マークボートの「キャサリン」。こちらにはクルーのTが乗る。
朝、運営機材をボートへ積み込み作業をしていたらスーツ姿の一群が歩いてきた。
なんだろな、と見たらその中にソウルオリンピックのレーザー代表の佐々木共之がいた。
「おお!佐々木何してるんだよ」
声を掛けると向うもびっくりした様子で
「ああ、市川さん。何してるんですか?」
同じ言葉の繰り返し。
聞けば夢の島の会議室で今年度のオリンピックに向けて、ナショナルチームの強化の話し合いが行われるので主だった人間が集まるのだという。よく見ると470の中村健二などナショナルコーチの面々だった。
「会議やジュニアーの強化で船も全く乗れていないんですよ~。乗りたいですよぉ~~」
「僕も今日は来月から始まるシリーズレースの練習会の運営だよ。お互い大変だなぁ。」
お互いの境遇を慰め合いながらしばし歓談の後、別れてアトリウムに行くと
自動販売機の前にはやはり北京オリンピックのレーザー代表の飯島洋一がコーヒーを買っていた。
彼が中学生の時に国体種目のシーホッパーを教えた。
すると後ろから
「おい!市川!何してるんだ!」
だみ声の聞き覚えのある声。
「ああ小山さん。今日は会議ですって?」
東京都連の総監督でJSAFの理事だ。僕を東京都の国体の監督に引き入れた張本人。
「今日は佐賀からも重鎮が来ているんだよ」
なんと松山和興さんが横にいた。いまや日本のヨット界を代表する指導者だ。北京オリンピックの監督も務めた。
約25年ぶりの再会。日本中のレース会場でよく一緒に闘わせてもらった。北海道の江差で行われたプレ国体で一度だけ勝たせてもらったことがあるが、それ以外はすべて負けた。
「松山さん、覚えていますか?」
サングラスをとると
「おお久しぶりやないか。いまクルーザー乗っとるのか」
と相変わらずのひょうひょうとした口ぶり
「松山さんお痩せになりましたね」
「そうなんよ、若いもんにみんな吸い取られてゆくけんね。代わりにこの小山さんが太っていくわいな。がはははは」
ひょいと横を見ると髪を後ろに丸くとめた長身のがっしりした人が階段を登って行った。雰囲気は野武士そのもの。
ヨットの神様、小松一憲さんだった。初めてレースを始めた頃、この人に徹底的に指導を受けた。そのでかいこぶしで何度叩かれたか。
後ろに、オリンピックのヨット競技で日本に初めて銀メダルをもたらした重由美子もいる。
日本の歴代のオリンピックセイラーオールスター。
ちょっとディンギー時代を懐かしく感じた出来事だった。