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スバルザカップで出会ったあの方々

「スバルザカップYachtRace2009」
まさかこの大会がこのような出会いをもたらしくれるとは夢にも思っていなかった。
レースそのものもそうだが、人との出会いにこんなにも感動したのは初めてである。

まず最初はレース当日の朝、陸上本部のある夢の島のアトリウムで、一人でぽつんと座っていた人がいた。
遠目に何処かで見た人だなぁと思ったが最近勘違いが多い。失礼があってはいけないと声は掛けずに置いた。

その人に次に会ったのが、レースも終わってオーナールームで歓談していた時である。
近くで大きな聞き覚えのある声がした。振り向くとあの日高茂樹さんであった。
日高さんは色々な意味で悲運のヨットセーラーといってもいい。オリンピック代表に選ばれながら不参加になってしまったモスクワオリンピックの日本代表選手なのである。
日高さんとはもう30年近くの知り合いである。奥さんもヨット乗りだった。だが10年ぐらい前、これからという時に若くして急死してしまった。
葬儀の時の日高さんの落ち込みようといったら、とても声を掛けられるような状態ではなかった。
それ以来、年賀状などで「今はネコと暮らしています」と細々とした消息を知るだけになっていた。

夢の島にはもう一人同じような人がいる。
やはりモスクワオリンピック代表で日高さんとペアを組んでいた花岡一夫さんが、Stellaのバースの隣の艇でメイントリマーをしている。
最近、この艇のオーナーから紹介を受け顔見知りになった。その時、偶然にも花岡さんと日高さんの話をした。それが呼び水となったのだろうか、この大会で再会できたのである。

久しぶりに会う日高さんは人が変わったように顔色もよく覇気に満ち溢れていた。

その時オーナールームで日高さんから紹介されたのが、朝、何処かで会った例の人だった。
お互い顔を見合わせ瞬間、思わず「あっ」と驚いた。両方ともすっかり変わってしまったその容姿に分からないでいたが、なんと「たか号の遭難」でたった一人生還した佐野三治君であった。
その壮絶な体験をまとめた 『「たった一人の生還~「たか号」漂流27日間の闘い』は当時ベストセラーになったので知ってる方も多いと思う。

彼とはその事件が起きて直ぐにお会いした。当時、僕が舵誌でコラムを持っていた関係で彼を取材したのだ。
その時の話を元に安全特集を組んだ舵も発行された。モノクロの表紙で話題になったので覚えている方がいるかもしれない。

彼はその当時はまだ何処かに現実を受け入れることができず浮揚感が漂っていた。興味本位で寄ってくるマスコミの多さに嫌世感すら見え隠れしていた。
それでもじっくり話し合ううちに気が合い飲みに行く仲になった。懇意にしてたが彼が関西に転勤になりそれ以来音信不通になっていた。
それがヨットレースの場でまた会えたのだ。嬉しかった。

驚くのはそればかりではない。
その時の舵誌の編集長をしていた田久保氏が、なんとこの大会の会長をしている和田さんの艇のクルーとして乗って来たのである。
ほんとに人と人の繋がりとは不思議なものである。
心からこの大会に携われてよかったと思う。

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by teamstella | 2009-07-13 17:34